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泉太郎・遠藤一郎・遠藤利克・水谷一
Taro Izumi / Ichiro Endo / Toshikatsu Endo / Hajime Mizutani

Opening Reception: Saturday, January 15, 18:00-

island / アイランド
12:00-20:00 Closed on Tue. and Wed.
〒277-0024 千葉県柏市若葉町3-3
Tel: 047-170-2404

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このたび、island ATRIUMにて、美術家・水谷一企画による展覧会『暴力と宇宙』を開催致します。企画者の水谷一(b.1976)は、人間を自然物の一つと捉えながら、人(芸術)と世界の原初的な風景を“雨上がりの満月の夜のように”と形容し、希求して来たアーティストです。(※1)
 また、千葉県柏市にあるisland ATRIUMは、天井の高い吹抜け空間や防音室を持つ、二階建ての広い、希有な構造のギャラリーであり、《表現を人々に届けたい》という強い思いに満ち満ちたisland JAPAN(※2)が2010年1月、活動をスタートさせた場所でもあります。
 本展に参加するのは、泉太郎・遠藤一郎・遠藤利克・水谷一。それぞれにビデオや自らの身体、さらには水や火など、その時々の表現に応じて様々な媒体を使いわけ、無二の地平で表現活動を続けるアーティストです。4人はまったく異なった世界の住人でありながら、共にその作品の強靭な自律性により、既存の“場”との安直なコミュニケーションを拒み、拒む事であらためて“世界ともう一度出会う機会”を私達にもたらすかに思われます。
 さて・・会場を後にしたあなたの目にこの世界の景色はどう映るでしょうか。どうかご期待下さい。


※1:以下は水谷執筆の展覧会リーフレット『事象』(2009)掲載テキストの一節。

 満月の夜から数日後、深夜に少し拍子抜けな台風一八号が通り過ぎたさらに翌日の深夜。仕事を終え、照明を落とし、屋外へ出ると私は、満月の晩よりも明るい、深夜の、群青色の世界にいた。
 風雨で空気が洗われ、私は私の視界の隅から隅までの、あらゆるものの際(きわ)を知覚する事が出来た。こうした大気中で得られる情報量は気違いじみていて、容易に目を瞑る事も難しい。私は冠っていたキャップを取った。
 あらゆるものがそれぞれの存在の純度を高めていたが、それは一様ではないようで、風景を構成する要素同士の関係性は崩され、私はここが見知らぬ場所である事を悟った。
 また、私は雲の動きをいつもよりもずっと仔細に追う事が出来た。この時、私の頭上に点在した鮮やかなグレーの綿菓子のような雲は、ほとんど崩れる様子もなく、南東に位置していた既に三割欠けた月を横切り、東の方向へ、寝息のようなスピードで、おぼつかない、ほろ酔いのような足取りで、ぎこちなく、移動していた。

※2:island JAPANは、新しく東京での情報発信の拠点としてisland MEDIUMをオープンし(12月より3331 arts chiyoda2Fにて)、表現を社会に届けるために、さらなる挑戦を続けて行きます。柏のislandは、island ATRIUMとして、2011年4月から共同スタジオをかねた、人、もの、文化、思想、教育あらゆる事象が交差し互いに反応しあい熟成していくアートセンターとして活動して行く予定です。


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展覧会〈暴力と宇宙〉開催にあたって・・・・水谷一
円盤が地球の地勢を観察しに来た火星の地理学者の乗り物だとしたら、火星の歴史はわれわれの世界と同じリズムで成熟し、われわれが地理学と航空写真を発見したと同じ世紀に地理学者を生み出したことになる。唯一の進んだ点は乗り物それ自体であり、だから火星は、理想化の夢すべてにおいてのように完全な翼を持った夢想の地球に外ならない。
『神話作用』ロラン・バルト著・篠沢秀夫訳(現代思潮社)


 これはロラン・バルトの著書『神話作用』、《火星人》の章の一節です。バルトは「すべての小市民的神話体系の恒常的特徴の一つ」として「他者を想像する事の不能」を挙げ、「特異性は最も《良識》に反する概念」である故に、「天空に形成されるや否や、火星は適合の最強力の形、すなわち同一性によって整理される」と言います。確かに人は、個々の幽閉される自己という閉鎖空間それぞれが、あたかも共通の言葉を持っているかに振る舞い、不測の理解し得ぬ事態を直ぐさま命名をもって共有化し、人であることを保持しています。
 それ故に、バルトの言う円盤や火星人の場合と同じように、作品鑑賞という行為も神人同形同性論的に作用し、それによって鑑賞対象(作品)も自動的に整理されるかに思われます。しかし、美術とは物理的に見聞きすることが出来、読み取られることを待つ素材や形式によって存在が保証されるものではありません。一般に作品と便利に呼ばれるそれらはむしろ単に媒介物でしかなく、あくまでも関係性の内に生じる、鑑賞者が重箱を突つくような鑑賞作法に則り対象を同一性によって整理しようとも瓦解させる、あのある種の暴力こそが、唯一作品の質を問う材料となり得、また、作品の現場なのです。
 作家は作品をもって自身の内なる他者を換骨奪胎し、〈在りのままの世界〉へと接近することによって、この夢の良心として、その独自の存在を保ち得るのではないでしょうか。

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作家紹介

泉 太郎 Taro Izumi [1976年生まれ]
ビデオ映像を取り込んだインスタレーションを主に制作するアーティスト。近年、その活動のフィールドをアメリカ、スイス、フランス、韓国、タイなど世界中に広げている。
ルールを作り、それを遂行する。そこでは目による管理はほぼ完璧に回避されているように思われる。ただ、ルールを作り、それを遂行する。作中に本人が登場する事も少なくないが、鑑賞者はそのただ、ルールを作り、それを遂行するアーティストの心境、というか、頭の中身を追体験する。映像作品《クックローチ》を見たのはいつだったかと経歴を見返した。「Field of Dreams」(小山登美夫ギャラリー)、六年前だ(2004年)。ファーストフード店に入り、持参したハンバーガーの材料と調理器具でハンバーガーを作り、食べる。同じ時、描き貯めているという膨大なドローイングノートを見せてもらった。1日30枚(ノート1冊分)、そう決めないと続けられないらしい事を聞いた。よくわかる。
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個展に「こねる」(2010・神奈川県民ホール)、「捜査とあいびき」(2010・hiromiyoshii/東京)ほか多数、グループ展に「MOTコレクション展“入口はこちら—何が見える?”」(2010・東京都現代美術館)、「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」(2009・東京国立近代美術館)、「CREAM ヨコハマ国際映像祭“動物園にエイゾウがやってきた!!”」(2009・CREAM ヨコハマ国際映像祭サテライト会場 横浜市立野毛山動物園)など。著作に『美術妙論家/池田シゲル』、『せのび〜ひとりだち』、『1P』。いずれも2009年刊行。
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http://taroizumi.com
  
遠藤一郎 Ichiro Endo [1979年生まれ] →Profile
未来美術家。大きく“未来へ”と描かれた車、《未来へ号》で車上生活をしながら全国行脚し、各地で作品展示、パフォーマンス、ワークショップなどを行なうアーティスト。
“希望”“未来へ”“家族”、、、画中に描かれた、そのあまりに明け透けな「言葉の信号」に瞬時、頬と腹筋をクッと強ばらせつつも、無意識に足は止まり、じっと見つめてしまう。これは「書かれた」ではなく、「描かれた」と称した方が適切なのかなと思って前文を書いてみて、どちらでもいい事に気付く。絵の具でなぞられた言葉の形は、なんだか私の“希望”とも“未来へ”とも“家族”ともちょっと違っていて、いや、眺めているうちにどんどん違っていって、言葉はバターみたいに溶けて、絵でも言葉でもなくなって、私の素通りを許さない。「世界を良くしてやろう」というふうな事を言っていたのをどこかのインタビューで読んだ。普通の事を普通にやろうという姿勢は信用に足る。
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参加展覧会に「別府現代芸術フェスティバル2009混浴温泉世界」(わくわく混浴アパートメント/大分)、「TWIST and SHOUT Contemporary Art from Japan」(2009・BACC/タイ)など多数。「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」展(2009-2010・水戸芸術館/茨城)にて「愛と平和と未来のために —ほふく前進一日8時間、46日間」のプロジェクト敢行。2009 年より凧あげプロジェクト『未来龍大空凧』開始。2008年12月より『美術手帖』紙上にて「愛と平和と未来のために」連載開始。2010年、千葉県柏市にてオープンスペースislandの発足に携わる。
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http://goforfuture.com/

 
遠藤利克 Toshikatsu Endo [1950年生まれ]  
火や水、木といった素材、或いはカヌーや壷や棺などの道具の形態、円環等の幾何形態を用いた彫刻を展開するアーティスト。1970年代より国内外で数多くの作品を展開する、戦後の日本美術を代表する彫刻家の一人。
見る機会も多かった炭化された多くの木彫作品を思い浮かべながら、“火”を素材と言ってよいものかと、ふと思った刹那、未見だが、“火”そのものが煌煌と噴き出し続ける作品図版を思い出した。著書『EPITAPH』(五柳書院・1992年刊行)をめくると、それは1990年制作の《水蝕VI》だとわかった。この作品は未見だが、鑑賞経験のある作品のほとんどに、どういうわけか、確かに“火”の追憶が在る。冬の寒い最中、どんど焼き(門松・竹・しめなわなどを燃やす行事)の炎に、長い串に刺した団子を焼く為、長いこと辛抱して近付いた幼い頃の感触を想い起こす。当てられ、ゆっくりと思考が動きを止めてゆき、その代わりに別の何かが身体に入り込んで来る。
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近年の個展に「欲動⇔空洞」(2010・ヒルサイドフォーラム/東京)、「空洞説・2010 AKIYAMA」(秋山画廊)、「供犠と空洞」(2009・国際芸術センター青森)など、代表的なグループ展参加として「もの派とポストもの派の展開/1969年以降の日本の美術」(1987・西武美術館/東京)、「ドクメンタ 8 Kassel 1987」 (Museum Fridericiamum/ドイツ)、「第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ 1990」(Giardini di Castello/イタリア)、「横浜トリエンナーレ2001メガ・ウェーブ 新たな総合に向けて」(パシフィコ横浜/神奈川)など多数。2008年、自身がアトリエを構える埼玉県所沢にて「所沢ビエンナーレ美術展」を中山正樹・戸谷成雄等と共に発足。
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http://toshikatsuendo.com/

水谷 一 Hajime Mizutani [1976年生まれ] →Profile
ドローイングを主軸としてインスタレーションを展開するアーティスト。
第三者の視線として、ごく簡単にではあるが、三人の作家紹介文をここまで書いて、自分の紹介文で案の定つまづく。紹介文の執筆者名を明かさず、自分で自分の作品の体験談を書こうとも考えたが、それは別の機会を作った方がいい気がするし、ここで他人のフリをするのもどうにも白々しい。白々しくて体が痒くなる。実際のところ、第三者的に自分の作品を眺める事は少なくないので、書く事は充分可能だが、それが第三者的であることを保証する術はない。だからと言って最初から私ではない、当展覧会にとって全くの第三者である誰かに紹介文をお願いするのが妥当とも思えない。一連の私の文章が私の作品の紹介となる事を願うが、果たしてどうか。

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これまで国内外の8つのアーティスト・イン・レジデンスに参加。個展に「消失」(2010・GALLERY MoMo Ryogoku/東京)、「事象」(2009・劇場寄井座/徳島)など、グループ展に「第一回所沢ビエンナーレ美術展 引込線」(2009・西武鉄道旧所沢車両工場/埼玉)、「越後妻有アートトリエンナーレ2009」(十日町市立東下組小学校/新潟)、「一枚の絵の力」(2010・island)など多数。

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Cooperated by Shinichi Arakawa, プロ用電球のブライトン, Kazuhiro Goshima, GALLERY MoMo, 日本ビクター株式会社

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Island ATRIUMへの行き方
[新宿より約60分] 《新宿駅》〜JR山手線外回り〜《日暮里駅》〜JR常磐線〜《柏駅》〜徒歩約10分
[上野より約40分] 《上野駅》〜JR常磐線快速〜《柏駅》〜徒歩約10分
[柏駅から] 東口を出て真直ぐ(ハウディモールを)進み、左手にpront・右手に松屋のある交差点を右に折れ、水戸街道をしばらく真直ぐ真直ぐ歩いてゆくと右
手にローソンが見えます。道を挟んでローソンの向かい側の、左に入る道を進み、コインパーキングを右に曲がるとisland ATRIUMがあります。
※駐車場の用意はございません。お車でご来場される場合、駐車はすぐ近くのコインパーキング(有料駐車場)をご利用下さい。

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遠藤利克 / 制作記録
[VOID 2011-island] 記録映像製作:sunsugarson


Created with Admarket's flickrSLiDR.



泉 太郎 / Taro Izumi

遠藤一郎 / Ichiro Endo

遠藤利克 / Toshikatsu Endo

水谷 一 / Hajime Mizutani

※各作家とも実際の展示作品とは異なります。

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